逡巡しながら日記。

小鳥と人間のとるにたらない日常。

練習車

Kは今日も就職するために頑張っていた。焦っているのがわかるので、鳥であるこっちまでじりじりとしてきて少し疲れたな。でも、19時くらいになると頭を切り替えたのか、身を翻して20時まで開いている図書館に向かって自転車を漕いでいった。そうだよ、K焦ってもなにも始まらないんだ。集中する時間は何時間と決めてかかったほうがいいのかもしれないよ。でも大丈夫。Kが頑張っていること、知ってるからな。

身体を動かすと頭もすっきりする。Kは帰ってくると、清々しい空気をたっぷり含んだ顔をほころばせていた。そうそう札幌も今日は日中暑かった。湿度もわりと高くて。でも日が沈むとグッと気温が下がって涼しくなったよね。

Kが帰って来ると嬉しそうに手にした本を読みだした。長見義三の「水仙」と書いてある。Kを通じて、文章からにじみ出てくる清流を感じられてなんだか心地よかったな。印象に残ったのは、通勤に使うバスでの回想。

孤独な閉じこもった物思いをしているかと思えば、三宅坂に出て御堀の薄氷のはった朝靄の景観が見えると、私は飛躍して国家のありように打たれるのである。こうした沿道の印象にうちかつだけの問題をもって乗っている折には、私は少しも運ばれてゆく距離を感じない。いつのまに来たのであろうかと不思議にさえ思う。 「水仙」練習車 P24